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東京地方裁判所 昭和59年(行ウ)38号 判決

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

一  当事者の求める裁判

1  原告

(一)  被告は、原告の賃金・定年制等に関する団体交渉の申入れに対し誠意をもって応ずべき義務のあることを確認する。

(二)  被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和五九年四月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

(四)  (二)につき仮執行の宣言。

2  被告

主文と同旨。

二  当事者間に争いのない事実

1  原告は、東京都の特別区に勤務する職員のうち、学校等に勤務する職員及び地方公務員法(以下「地公法」という。)五七条所定の単純な労務に雇用される者をもって組織された労働組合であって、地方公務員の団体ではあるが、地方公営企業労働関係法付則四項により同法及び地方公営企業法三七条から三九条までの規定が準用され、労働組合法(以下「労組法」という。)上の団体交渉権を有する。

原告の組合員の任命権者は、特別区の区長であり、区長は、労組法七条二号の「使用者」に当たり、原告の団体交渉の相手方となる。

2  被告は、特別区の権限に属する事務の一部を共同処理するため、地方自治法二八四条一項に基づく一部事務組合として、昭和二六年に設立された特別地方公共団体であって、その構成員は二三区であるが、これとは別個の公共団体として、独立の法人格を有する。原告の組合員で被告に勤務する者はない。

被告は、その規約三条に基づき、特別区の「職員の任用及び給与その他の勤務条件の基準に関する事務」を共同処理する権限を有し、右勤務条件に関する調査研究、資料の作成、共通基準の企画立案の事務を担当している。

3  特別区に勤務する職員の勤務条件の決定や処理の方法には、次のとおり、他の団体にはない特殊性がある。

(一)  昭和五〇年四月一日から、地方自治法の一部を改正する法律(昭和四九年法律第七一号)が施行された。これにより、特別区の都からの独立性が強化され、区長の人事権が確立されて、特別区の人事制度は、各区が自らの創意と責任に基づき自主的に運営することが原則となった。しかし、特別区の行政は、特別区制度の沿革や財政的制約のもとで二三区一体的に行われてきた経緯があり、更に、昭和五三年四月一日に特別区人事委員会が設置されたことに伴い、人事行政の連帯的運営が一層要請されるようになった。そのような事情から、二三区長は、任意団体である特別区長会の申合せに基づいて、「特別区人事行政運営要綱」(以下「運営要綱」という。)を制定し、昭和五四年四月一日から施行している。

(二)  運営要綱は、特別区職員の任用及び給与等に係る二〇項目を「特別区共通基準」として定め、これについては、特別区が相互に連帯協力して共通実施することとし、共通基準の企画立案は被告が行い、共通基準以外の人事行政は「区独自事項」として特別区が個別に企画立案するが、必要に応じて被告と調整することができる旨定めている。被告が作成した勤務条件の基準案は、区長会等の会議体において審議されて採否が決定され、更に特別区ごとに区長が区議会に提案しその議決を経て条例・規則化される。

(三)  特別区と職員団体間の労務交渉は、従前は都知事に委任されていたが、各区長が、任命権者として、直接に交渉当事者となる方式に改められた。しかし、特別区共通基準に関する労務交渉は、特別区統一交渉として、運営要綱と同時に定められた「特別区統一交渉に関する事務取扱要綱」(以下「取扱要綱」という。)により、二三区長が地公法五五条五項に基づいて指名した交渉委員と二三区職員団体の連合体である特別区職員労働組合連合会(以下「特区連」という。)指名の交渉委員との間で統一的に行われている。

取扱要綱によれば、統一交渉には、予備交渉、本交渉及び補助交渉があり、その交渉委員として、予備交渉は被告の人事企画部勤労課長が、本交渉は被告の常勤副管理者が他の七名の委員と共に、補助交渉中の勤務条件委員会交渉は被告の職員三名が他の二名の委員と共に、それぞれ、従事し、交渉事務は、被告の人事企画部が担当することとされている。

4  原告は、労働組合として、被告に対し、昭和五六年一一月二四日、同年一二月一二日、昭和五八年一一月二日、それぞれ、給与改訂、業務職給料表改訂、定年制問題等の特別区共通基準に属する事項につき、団体交渉を申し入れたが、被告は、これに応じていない。

三  当事者双方の主張

1  原告の主張

(一)  労組法七条二号の「使用者」とは、労働契約の直接の当事者である雇主のみならず、労働者の労働条件その他の労働関係上の諸利益に何らかの実質的な影響力ないし支配力を及ぼし得る地位にある者を広く含むと解すべきである。被告は、原告の組合員の勤務条件について法律上の決定権はないが、任用、給与等の基本的労働条件を含む特別区共通基準について企画立案を行い、統一交渉の事務を担当している。

特別区の区長は、法律上の決定権者ではあるが、共同処理の必要から、被告にその権限を委譲しており、独自の立場で自主的に決定することができないのである。そのため、区長は、共通基準について原告が個別に団体交渉を申し入れても、運営要綱第三4の「各区は、特別区が共通して実施することを決定した事項は、それぞれ、誠意をもって完全に実施するものとする。」との定めに従い、区長会で決定されるまでは独自の判断を示さないし、決定されたのちは、区長会の決定を一方的に通告するだけで、独自の判断で決定内容を動かそうとはしない。かくては、区長には実質的な団体交渉の当事者能力がないのと同じで、区長との団体交渉は意味がない。被告は、被告には決定権がなく、企画事務を担当するにすぎないというが、被告が立案した共通基準は、昇給を例にとると一円の単位まで明示される上に、それが区長によって修正されたり否決されることは全くなく、また、統一交渉においても、被告は共通基準の立案者として重要な役割を果たしている。

右のような実情から考えると、被告が、特別区職員の任用及び給与等に係る二〇項目について、実質的な影響力を現実的かつ具体的に有していることは明らかである。被告と区長との関係は、労働条件を統一的に決定している親会社とその子会社との関係に等しく、区長との団体交渉は形式的なものにすぎない。被告との団体交渉が認められなければ、原告にとって団体交渉権は実質的に無意味である。

したがって、被告は、原告の組合員の任命権者ではないが、原告の団体交渉申入れ事項については、労組法七条二号の「使用者」に該当し、原告の団体交渉の申入れに応ずべき義務がある。

(二)  原告は、昭和五六年三月に結成されたもので、その組合員は八〇〇余名である。しかし、被告が前記団体交渉の申入れに応じていないため、原告は、共通基準に属する組合員の勤務条件を適正に改善する労働組合としての目的を果たすことができず、また、被告は、特区連や区職員労働組合などとは団体交渉の当事者として実質上中心的役割を果たしているのに、これらと差別され、組織の拡大、維持及び防衛に著しい支障を生じ、そのため、労働組合としての存立を脅かされるいう被害を被った。これは、不当労働行為として不法行為を構成するものであり、その損害を金銭に見積もると、少なくとも五〇〇万円を下らない。

2  被告の主張

被告は、その規約に定められた事務として、特別区の職員の勤務条件に関する調査研究、これに基づく資料の作成及び共通基準の企画立案を行っているが、被告が作成した基準案の採否を決定するのは、特別区の区長の権限に属し、被告が共通基準を決定して特別区の職員の勤務条件を拘束することは一切ない。統一交渉も、各区長によって採用された共通基準を交渉事項として、二三区長が指名した交渉委員と特区連が指名した交渉委員との間で行われるもので、被告は、取扱要綱に基づき、交渉場所の確保、交渉当事者に対する連絡、交渉の記録等の補助的事務を担当しているだけで、交渉の内容に関与することはない。交渉委員に被告の職員が入っているのは、各区長の指名によるものであって、被告が当事者として関与するものではない。原告と二三区との間で統一交渉は行われていないが、原告の組合員が勤務している六区では、その区長と原告の間で個別的に団体交渉が行われている。

要するに、被告は、共通基準については、補助的事務を行うにすぎず、何らその決定を支配していないから、労組法七条二号の「使用者」には当たらない。

四  当裁判所の判断

1  原告の団体交渉権については、地方公営企業関係法付則四項により準用される同法四条に基づき、労組法の定めるところによって規律される。そして、労組法六条は、「労働組合の代表者又は労働組合の委任を受けた者は、労働組合又は組合員のために使用者又はその団体と労働協約の締結その他の事項に関して交渉する権限を有する。」と定め、同法七条二号は、「使用者が雇用する労働者の代表者と団体交渉をすることを正当な理由がなくて拒むこと」を不当労働行為として禁止している。

ところで、団体交渉の相手方となる「使用者」の意義については、労組法には特別の定義規定がない。そのため、同法七条二号の「雇用する労働者」の字義どおりに、当該労働者との間で雇用契約の直接の当事者となっている者に限定する立場から、雇用契約との関係を切り離し拡張して解する立場まで、種々の見解があり得る。しかし、不当労働行為制度の目的が、労働者が団体交渉その他の団体行動のために労働組合を組織し運営することを擁護すると共に、労働協約の締結を主たる目的とした団体交渉を助成することにあることからすれば、団体交渉の相手方たる「使用者」を雇用契約の直接の当事者となっている者に限定することは、狭すぎで妥当でない。したがって、ある程度は拡張して解するのが相当であるが、他方、団体交渉の相手方たる「使用者」とされた者は、団体交渉に応諾することを法律的に義務付けられ、正当な理由なくこれを拒否したときは、労働委員会の救済命令の相手方とされる上に、右命令の違反に対しては一定の要件のもとで刑罰の制裁を受ける場合もあり得るから(労組法二八条)、拡張の程度にも自ずと限度がある。その意味では、労組法七条二号が「雇用する労働者」との団体交渉義務を定めている法意を完全に没却してしまうような拡張は、認めるべきでないと解される。しかも、団体交渉の主たる目的が、労働協約の締結による労働条件の集団的・統一的処理にあることからすれば、その相手方たる「使用者」といえるためには、労働条件の決定について、雇主と同様の権限を有しているか又は現実的な支配力を有している必要があることも、容易に肯定されるところである。このような観点からすると、労働者の労働関係上の諸利益に何らかの影響力や支配力を及ぼし得る地位にさえあれば、全て団体交渉の相手方たる「使用者」に当たると解するのは、逆に広すぎることになろう。

結局、団体交渉の相手方たる「使用者」に当たるかどうかは、右のような不当労働行為制度の目的、労組法七条二号の法意及び「使用者」とされることによって認められる法律上の義務や制裁を総合的に考慮し、具体的な事案に即して個別的に決定するほかはない。

2  そこで、本件について見るに、原告の組合員は、特別区の区長によって任用された地方公務員であって、被告との間には、直接の任用関係はもとより、任用関係に準ずるような支配従属の関係も存在しない。被告が、実質的に、右組合員から労務の提供を受けて指揮監督するという関係も、また、これに対して給与を支払うという関係も存在しない。そして、労組法七条二号の法意に照らすと、右の事情は、団体交渉の相手方たる「使用者」に当たるかどうかを判断する上での最も基本的な要素であると解される。

もっとも、被告が、特別区の「職員の任用及び給与その他の勤務条件の基準に関する事務」を担当し、原告の組合員の勤務条件について調査研究し、共通基準を企画立案する権限を有していることは、前記のとおりである。そこで、被告の右権限が「使用者」に当たるかどうかの判断においていかなる意味を持つかが問題となる。しかし、右権限は、勤務条件の決定との関係で見た場合には、そのための準備的行為ないしは前段階の行為たるに止まり、勤務条件を具体的に決定する権限を含まないものである。このことは、原本の存在及び成立に争いのない甲第六号証の運営要綱中に、「第三、特別区共通基準の運営」として、「1特別区共通基準の企画立案は、特別区人事・厚生事務組合(注・被告を指す。)が行う。2前項の基準を特別区が採用する場合の審議は、特別区長会、特別区助役会……(以下「会議体」という。)において行う。」との規定があること、一方、成立に争いない乙第一号証の被告の規約中に、第三条として、「この組合は、左に掲げる事務を共同処理する。」とし、その三ロに「職員の任用及び給与その他の勤務条件に関する事務」との規定があるに止まり、具体的な決定権を定めた規定がないことによって明らかである。被告に勤務条件の具体的な決定権がないことは、原告も認めるところである。

もとより、任命権者である区長が、相互の連帯性を保持する必要から、独自の立場で勤務条件を決定することを事実上差し控え、その結果として、被告の立案した共通基準がそのまま区長によって採用され、それが原告の組合員の勤務条件となる場合のあることは、十分に予想し得るところである。しかし、それは、区長が、区長会等の会議体の審議に基づいて、被告の立案した共通基準どおりの勤務条件の採用を決定したことによるものであって、このことから、区長が自主的な決定権を喪失し、原告の組合員の勤務条件の決定について、被告が区長と同様の権限を有しているとか又は現実的な支配力を有しているということはできない。また、区長が独自の立場で勤務条件を決定することを差し控えたとしても、それは、区長が二三区相互の連帯性を保持する必要があると判断したためであって、被告が勤務条件に関する共通基準を企画立案していることとは何ら関係がない。いいかえれば、区長が、独自の立場で勤務条件を決定しないのは、運営要綱において、職員の勤務条件を二三区が相互に連帯協力して実施することを約しているためであって、被告が勤務条件に関する共通基準を企画立案しているためではないのである。

原告は、前掲甲第六号証の運営要綱の第三4に「各区は、特別区が共通して実施することを決定した事項は、それぞれ、誠意をもって完全に実施するものとする。」との規定があることを問題にするが、右規定は、前記の会議体において勤務条件の共通実施が決定された場合における各区の対応原則を定めたものに止まるから、右規定があるからといって、被告が原告の組合員の勤務条件の決定について現実的な支配力を有しているとはいえない。その他、本件記録によっても、被告が、子会社の従業員の労働条件の決定につき現実的な支配力を有している親会社と同視し得るような立場にあることは、認められない。

また、被告の職員が、特区連との間の統一交渉に関与しているのは事実であるが、原本の存在及び成立に争いのない甲第七号証の取扱要綱並びに証人Aの証言によって真正に成立したと認められる乙第三号証の特別区の労使交渉等に関する覚書及び乙第四号証の通知書によれば、それは、取扱要綱に則した二三区長と特区連との間の統一交渉に関する取決めを踏まえて、各区長の指名を受けた本交渉委員又はこれから指名を受けた予備交渉担当者等としての立場でそれぞれ関与しているもので、被告自身が、共通基準の企画立案者としての立場で関与しているものではないことが認められる。

なお、前掲甲第七号証によれば、取扱要綱そのものは、統一交渉の相手方について特別の限定をしていないことが認められるが、前掲A証人の証言によれば、原告組合の組合員が勤務しているのは二三区中の六区のみであることが認められるから、二三区長の合意によって定められた右取扱要綱が原告に適用される余地のないことはいうまでもなく、したがって、原告が右六区との間で統一交渉をするためには、その旨の取決めをする必要があるものと解される。

3  以上に見たところを総合すると、被告と原告の組合員との間には、直接の任用関係及びこれに準ずるような支配従属の関係はもとより、実質的な労務の提供とこれに対する指揮監督という関係も存在しないだけでなく、被告が、任命権者である区長に代わって原告の組合員の勤務条件を決定しているとか、又は、区長と同様の立場で右勤務条件の決定を現実的に支配しているということはできない。したがって、被告は、原告に対して団体交渉の相手方となるべき労組法七条二号の「使用者」には当たらないと解するのが相当である。これと異なる原告の主張は、採用することができない。

4  よって、原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないので、これらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 太田豊 竹内民生 田村眞)

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